同窓会・OB-INFO     ⇒HOME


「旧岡山二中」22期生
「50年ぶりの卒業アルバム」を発行


山陽新聞1999年10月20日の記事より

 終戦直後の混乱期に卒業したため、卒業アルバムのなかった旧制岡 山二中(現・操山高)二十二期生が五十年ぶりに念願の卒業アルバムを作った。
「50年後の卒業アルバム」には,当時の学校生活を伝える費重な写真のほか、激動の青春時代の思い出が詰まっており、同期生らは「動乱期の足跡を振り返る貴重な宝物」と喜んでいる。

 二十二期生は昭和十七年度に約二百五十人が入学。 太平洋戦争の真っただ中で、東京から疎開してきた生徒や海軍兵学校などから の復学組を合わせ、二十一、二十二年と分かれて計三百人が卒業した。
 しかし、物 資不足のため卒業アルバムを作製するような時世ではなかった。
 アルバム作製が持ち上がったのは平成八年夏の同期会。卒業五十周年の記念事業を話し合う中で具体化した。、九年二月には、編集委員会が結成され、作業が本格化。関東や京阪神、九州に散らばっている同期生のうち、連絡先が分かる約二百人に写真などの資料提供や寄稿文を依頼した。
 一年半かかってできたアルバムはA4判、百二十五ページ。A〜D組のクラスごとに校舎の前で撮影した集合写真や一人ひとりの類写真、同期生から送られてきた教科書や成績表なども掲載し、当時の学校生活ぶりがうかがえる。
 七十七人から寄せられた思い出では「ギュウギュウ詰めの船で京橋から旭川を下って工場に通っ川ていた」 「校舎が焼け、屋根にトタンをかぶせ、地面が露出している″馬小屋校舎″で授業した」など、学徒動員の体験、戦後混乱期の再建活動を振り返っている。
 三百冊作製。同期生に配ったほか、同市内の図書館などに寄贈した。
 編集委員会代表の赤木慎平さん(六八)=同市岡町=と二+二期同期会代表世話人の生田量一さん(六九)=同市小串=は「空襲のため母校をはじめ多くが焼失し、写真や資料の収集が思うように進まず難しい作業だった。五十年前の青春がぎっしり詰まったものが出来上がり、感慨もひとしお」と話している。

このページの頭に


岡山県立岡山操山高等学校  〒703-8573 岡山市浜412番地
TEL:086(272)1241