校門付近
校門


校門から武道場に通じる道の両側には、ヒマラヤ杉が生い茂っています。
校名は石井県知事(当時)の筆によるものです。
国務(科学技術庁長官)大臣・近藤鶴代座右碑

石碑に刻まれている「和して流れず」は、本校の前身である明治33年開校された「岡山県高等女学校(略称・一女)」で語られていました。
「岡山県第二中学校(略称・二中)」で培われた「松柏の精神」と共に今も岡山操山高等学校の精神の支えとなっています。


校門から武道場に通じる道の両側には、ヒマラヤ杉が生い茂っています。
校名は石井県知事(当時)の筆によるものです。

石碑に刻まれている「和して流れず」は、本校の前身である明治33年開校された「岡山県高等女学校(略称・一女)」で語られていました。
「岡山県第二中学校(略称・二中)」で培われた「松柏の精神」と共に今も岡山操山高等学校の精神の支えとなっています。