岡山県立岡山操山高等学校

岡山操山中学校 通信制課程
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平成30年度 開校記念行事 校長挨拶

2018年10月05日

H30/10/02(火) 13:20~

皆さん、こんにちは。
気持ちのいい秋晴れの下で、開校記念行事ができることを喜びたいと思います。舞台を鑑賞する前に、開校記念ということで、少しだけ校長としての思いを述べたいと思います。
今年、1900(明治33)年に操山の前身の岡山県高等女学校(旧一女)が開校してから119年目、岡山操山高校として70年目、岡山操山中学校は17年目を迎えました。来年10月には、シンフォニーホールで創立120周年記念式典・記念講演を行います。
今日の開校記念行事に当たって、生徒の皆さんには、操山に脈々と受け継がれている「和して流れず」、そして「松柏の精神」について、改めてその意味を考えてもらいたいと思っています。
人と協調はするけれど、自分の信念を失って流されることはない。そして、雪の中にあっても緑の色をそのまま保っている松や柏のように、どんな逆境にあっても自分の高い志は変えない。厳しい状況にあるときにこそ、その人の真価が現れる。

今年の体育祭の日に、(本校の中庭に銅像がありますが、)一女が生んだオリンピック選手、人見絹枝さんの御親族の方が、今から90年前の1928年のアムステルダムオリンピック陸上競技800メートルで獲得した銀メダルをわざわざ持ってきてくれました。「人見絹枝杯」に参加した高3の金光由樹さんなど何人かの陸上競技部の生徒には、そのメダルを見てもらいました。
当時21歳の人見選手は、最も得意な100メートルで準決勝敗退に終わり、レースをしたことのない、たまたまエントリーしていた800メートルにかけたと言われています。
結果は2位・銀メダルでしたが、最後100メートルからの記憶がなかったといわれるほどの過酷なレースだったと伝えられています。
このメダルを獲得したちょうど3年後、人見さんは肺炎のため、24歳の短い人生を閉じました。
人見さんは、このオリンピックの前後も、単身ヨーロッパへ乗り込んで命をかけて走り、その懸命な姿はヨーロッパの人々に感動を与えたと言われています。
また、新聞社の記者として執筆や講演活動をしながら、トップ選手として活躍し続けた彼女は、女性のスポーツ選手への世間からの偏見が根強い中、自分の信念に基づいて行動し、その後の女性アスリートに活躍の道筋を拓いた人でもありました。
岡山操山には、人見さんをはじめ、素晴らしい先輩方がたくさんいます。「和して流れず」、そして「松柏の精神」を受け継ぎながら、皆さんも自分の「未来の扉」を、勇気を持って開いていってください。皆さんなら必ずできます。
さて今日は、平成30年度開校記念行事として、アフリカンオールスターズの皆さんによる「アフリカンミュージック&ダンス」を鑑賞します。操山中・高は、コミュニケーション能力の育成を教育の柱の一つにしていますが、今日演奏される打楽器は、最も古い楽器であるとともに、人類にとって重要なコミュニケーションツールとして使われてきました。打楽器が刻むリズムは、時代や地域を越え、我々人類の遺伝子に組み込まれているのかもしれません。
操山生の皆さん。心配ごとやしんどいことはいろいろあるけど、これからの時間は、それらをとりあえずどこかに置いて、リラックスして、アフリカの音楽とダンスに身を委ね、心から楽しんでほしいと思います。
最後になりましたが、お忙しい中お越しいただきました保護者の皆様にも感謝申し上げます。
では、「アフリカンミュージック&ダンス」の始まりです。出演者の皆さんをはじめ全てのスタッフの方々に大きな拍手をお願いします。